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あれから7年4ヶ月。
あの時私達はどう動いたか?
そして今。

震災を振り返って
-震災時・震災後の高齢者介護施設での取り組み-

介護老人保健施設 松原苑 入澤美紀子氏

松原苑は陸前高田市の高台にあり、津波の被害は免れました。

しかし、地震の被害はあり、その時の生々しい体験をお話ししていただきました。

平成23年3月11日 14時46分

大地震が発生しました。
松原苑の館内には利用者・患者264人
(寝たきり84人)
職員88人が建物の中にいました。

天井が落ち、水道管が破裂し水浸しに!

1時間半をかけて外に避難しました。

避難完了 しかし

しかし、外は寒く夕方の気温が4℃

雪が降ってきました。

屋根付きの避難場所を、ということで、
系列のグループホーム、
また、壊れた窓ガラスを段ボールで塞ぎ、デイケアセンターホールへ移動。
そこで2晩すごされたそうです。

非現実感

職員は家族とも連絡はとれません。
しかし、目の前のことに必死でした。
避難されてきた方も一緒に手伝っていました。

緊急事態
1台のベッドに2人の利用者。
職員は外で過ごしたそうです。

情報はラジオのみ。
テレビ局やラジオ局の中継車がやってきました。

痛まず染めるハイステップヘアカラートリートメント

3月13日
地震から3日目、全員の避難が決定し、4カ所での間借り生活が始まりました。

理事長は震災当日、東京にいらしたそうですが、なんとか松原苑に戻り、工事業者もあっという間に手配して復旧工事が始まりました。
透析センターを最優先で工事し、3月31日には透析再開しました。

医療と介護 対応の差

県立高田病院には震災直後、全国から多くの医療チームが応援に。

しかし、介護施設には震災直後にはどこからも応援がありません。
認定看護師の支援を要請も、許可されなかったそうです。

ようやく1ヶ月後

介護の現場にも応援がきてくれました。
日赤が最初に来てくれたそうで、1ヶ月で120人
全老健チームは2ヶ月で延べ376人

1ヶ月もたつと、職員の中で心身とも疲労もありギスギスしてきました。
そこで、「心をひとつに」リボン活動が行なわれました。
若草色のリボンをシンボルマークにして胸に付ける活動。
そこには入所者の健康管理に奔走の上くも膜下出血を発症されてしまった副理事長の思いも受けてのものでした。

トイレは青空トイレをつくりました。
排泄後は土をかけて消臭剤をまきました。

電気は3月22日に復旧。

水は4月19日にボーリングでくみ上げることができました。

いずれも、言い続けることが大事と実感されたそうです。

支援チームの中で、神戸のチームは阪神淡路大震災を経験されていて説得力がありました。

助けた方が、誤嚥性肺炎で亡くなられた。
口腔ケアが重要だと教えてくださいました。

職員はギリギリの人数でしたが、
在宅支援チームを8月1日から立ち上げました。

仮設住宅にチラシを配りました。

それから現在にいたるまで、震災に対する備えを続けています。
各自常備する物のチェック
マニュアル類はラミネートして職員に渡す。
毎月のミニ訓練。

災害は忘れないうちにやってきます。
「日常が非日常を支える」
それは地域との繋がり・人との繋がり

支え合うことが大切です。

感想

実際に体験された方でないと話せないお話でした。
津波や地震が多い地域で、他の地域よりもかなりの対策をしていたことでしょう。

それでも大規模震災が起きると、想定外のことも多く、支援も来るまでだいぶ時間が必要でした。

3日くらい頑張ればなんとか、と思っていましたが、大規模災害ですとそんなものではない。
通常の生活に戻るには長い時間がかかるものだと実感しました。

日々のお仕事も多忙な中、貴重なお話をありがとうございました。